三年目に入るロシア・ウクライナ戦争

自宅玄関前の海棠

ロシアのウクライナに対する、突然の武力侵攻が始まって今年の二月で、三年目に入りました。戦況はロシアの圧倒的な軍事力優位の前に、ウクライナは苦戦を強いられています。この二年間にロシアはウクライナに、戦争犯罪になるような違法で、非人道的攻撃を度々仕掛け、一般市民、子供に多くの犠牲者が出ました。ウクライナはロシアの攻撃により、住宅、インフラ、公共機関、兵士も失い、その経済的、人的損失はどれほどのものになっているのか、ウクライナ政府、ウクライナ国民の事を思うと胸が痛みます。今回のロシアのウクライナに対する武力侵攻は、ウクライナとロシア国境沿いにあるウクライナ領土の、ルガンスク州ドネツク州、サポリージャ州、ヘルソン州をロシア領土に一方的に併合するために仕掛けられた戦争です。ロシアは2014年にウクライナ領のクリミア半島をわずか、1週間程で大きな戦いもなく併合しました。この時の経験から今回も簡単に併合出来ると踏んでいたようです。しかし今回はクリミア半島併合の時のようにはいかず、2年以上も戦争状態が続いていますが、これはウクライナ国民の領土を守り、決してロシアの侵略を許さないという、強い意志の表れです。ウクライナが2年を超える戦いに耐えられているのは、ウクライナ軍の兵士、国民が一致団結しロシアと対決している姿勢に、米国、NATOが軍需物質、資金の支援を呼応してくれていることが、ロシアの一方的な戦いを阻止してくれている事です。ロシアのウクライナ侵攻後矢継ぎ早に、西側民主主義諸国は日本も含め、一斉にロシアに対する経済制裁を実行されましたが、経済制裁の効果はあまり出ていないようです。ロシア国民は、ロシアの現状に不満を表していない、むしろロシア大統領選挙結果が示すとうり、うかがい知ることが出来ます。プーチン政権が2年わたる戦争、日本を始めとする、西側民主主義国家の経済制裁にも、拘わらず、崩壊しないのは二つの大きな理由からです。

一つはロシアには豊富な天然資源(原油天然ガス、石炭)はGDP2位の中国、同3位のインドがロシアから安く輸入しているため、ロシアにとって西側からの輸入がゼロになってもちっとも困らないのです。そしてもう一つの大きな理由は、ロシアは国土が広くて、大きいので食料品は自給自足でき、なおかつ余剰分は輸出している状態なので、食料品についても全く困らないのです。この状態で戦争が長期化して、疲弊するのはウクライナです。西側民主主義諸国の強力な支援なしには、ウクライナの勝利はないでしょう。2年にわたる米国、をはじめとするNATO加盟国のウクライナに対する支援疲れが取りざたされており、最大の支援国の米国の大統領選挙が11月に行われますが、トランプ氏が大統領に当選すれば、アメリカのウクライナに対する政策は変わる可能性があります。トランプ氏は世界を俯瞰する政治家ではなく、ただ単なるアメリカ国民の受けを狙った、アメリカファーストの政治家であり、民主主義国家を代表する盟主には、ほど遠く、世界を呆れさせているスキャンダルまみれの人物が、11月の大統領選挙に当選しそうな、勢いで予備選挙を戦っている。大統領にトランプ氏が当選し、バイデンしが敗北した場合、世界の政治情勢が大きく変わる事が予想されます。日本もその影響を免れることは出来ないでしょう。米軍駐留経費の増額と、本土防衛力増強を要求してくることが考えられます。そして最も大きな懸念が、ウクライナに対する、軍需支援の縮小です。西側民主主義国単独支援で最大規模の米国の軍需支援が減少すれば、ウクライナにとって、ロシアとの戦いに勝利する事は、難しい局面に立たされることになります。このロシアとウクライナの戦争は西側民主主義勢力と覇権主義国の代理戦争の様相を呈しています。ウクライナが敗北するような結果になれば、ロシアの横暴を許すことになり、第二、第三のウクライナが生じる事も充分考えられます。そして日本にも、日本固有の領土である北方四島から、北海道への侵攻といった悪夢のシナリオも想定されます。こういった観点からも、西側民主主義国はアメリカを筆頭に、一致団結して覇権主義国のロシアに対峙し、今現実に行われているロシアとウクライナの戦争に、ウクライナが絶対に勝利するように導かねばなりません。ウクライナが勝利する事は、沢山の亡くなられた、兵士、民間人、子供の供養になりますが、もしウクライナが敗北するようなことになれば、亡くなれた兵士、国民の皆様は、何のため血を流されたのでしょう。ウクライナの犠牲になられた沢山の人々の為にも、ウクライナ政府、軍に最大規模の軍需支援をして、ウクライナが勝利して一刻も早く終戦することを願うばかりです。

 

はじめての俳句9

ビオラの鉢植え

俳句教室に通い始めて3月で丁度1年になり、月一回の句会には一度も休まず出席し、修了証も頂きました。77歳の喜寿になって、俳句を始めることなんて、今まで考えもしなかった事ですが、暇で時間が十二分に取れる事と、エッセー風の下手な文章をブログに書いていますので、文章が少しでも上達する手助けになればとの思いで、一念発起して始めました。そして俳句を始めたもう一つの大きな動機が、文豪と言われ、数々の有名な小説を書かれた、芥川龍之介夏目漱石が俳句作りの名手であった事は、有名で私もほんの少しでも、二人に肖りたいという思いからです。しかし実際に俳句を作りを始めてみて、良い句を作ることは想像以上に難しくて、簡単でない事を、思い知らされました。俳句は5・7・5の17文字にによる世界最小の定型詩で、17文字で何十文字、何百文字を使って書いたような文章を省略、短縮して表現する文芸といえます。

この一年間俳句作りをしてきて、感じたことは、俳句にはいろんな種類があり、出来るだけ多くの人の句を読んで、俳句の奥の深さ、豊かさを理解する事が、良句作りの近道になるのではないかと実感しております。俳句には茶道、華道のような歴然とした流派のようなものはありませんが、二つの大きな流れはあると思います。一つは江戸時代から続く伝統的な俳句で、季語は必ず使い、5・7・5の文字数は守る、いわゆる有季定型のタイプと、もう一つは季語の有無、5・7・5の文字数に拘らない自由律句タイプの二つに大きく分けられると思いますが、現状では圧倒的に伝統的な有季定型の俳句が多くつくられています。

数万もあると言われている季語の中から、季語を選び5・7・5の文字数に拘った伝統的な俳句作りを私も目指していきたいと思っています。俳句教室は昨年15名で始まりましたが4月以降は、途中離脱者2名、俳句教室修了時点で2名退会され11名で、俳句同好会として新たに発足し、昨年と同様月1回の句会で再出発します。

 

自作の句

今月の季題(季語)は桜です。

幻想の/サクラトンネル/通りけり

この句は河川敷の道路の両側に桜の木が数キロに渡って、植えられており、まぶしい春の陽光、桜吹雪が舞う中を車でゆっくり走行する光景を詠んだものです。因みにこの道路は桜の開花中の日曜日は歩行者天国になります。

 

春の朝/リモコン押せば/あのおのこ

朝起きて、テレビのリモコンを押せば、日本人大リーガーの大谷選手の動静が連日NHKも含め民法各社が過熱ともいえる報道をしている様子を詠んだものです。おのこの意味は男子です。

 

初雷や/天の騒動/夢さめる

夜中に夢見心地で気持ちよく寝ているときに、突然の雷鳴に驚いて目が覚めた様子を詠んだものです。夏場の雷鳴はよくあるので、そんなに驚くことはないのですが、冬場の雷鳴の不気味さも詠んでいます。

喜寿を迎えて

地植えの黄水仙

私は来月の四月で77歳の喜寿を迎えようとしています。高齢になって年齢を祝うのは若い方から、60歳の還暦、70歳の古稀は、どちらも無事に過ごす事が出来、77歳の喜寿も、何事もなく迎えようとしています。そして次の80歳傘寿、88歳米寿、90歳卒寿、99歳白寿、108茶寿を目指していくことになりますが、さて何歳まで生きられることでしょう。人間の寿命には、平均寿命、健康寿命、労働寿命、資産寿命、貢献寿命と色々あるそうですが、その中でよく知られているのは、平均寿命と健康寿命です。色々ある寿命の中で最も重要なのは健康寿命ではないでしょうか。健康寿命は何歳まで人手を借りず(介護を受けず)自力で元気に生活できる年齢のことで、平均寿命は亡くなられた人の年齢の平均値です。平均寿命と健康寿命の差は小さければ小さい程よく、理想は平均寿命と健康寿命がほぼ同じの場合です。このケースだと介護を受ける事もなく、天寿を全うすることが出来、本人の経済的、肉体的負担も少なく、何よりも介護する当事者、家族に与える負担も殆んどなく、理想的な寿命の終え方ではないでしょうか。このように天寿を全うする事を、世間ではピンピンコロリと言うそうですが、私はこれを健康死と呼ぶことにしています。私の回りには70歳前で病気により、要介護状態に入り、その後20年以上介護を受けながら亡くなった、身内を身近に見てきました。そう言った経験上からも、健康寿命を特に意識するようになり、日々日常の健康管理には気を付け、家族には介護の心配をさせないように、細心の注意を払いながら過ごしています。自分の人生を振り返ってみますと、60歳の還暦、70歳の古稀を迎えたころは、殆んど肉体的、精神的な変化、変調を感じることはなく、過ごしていましたが、75歳の後期高齢者を迎えたころから、少し様子が変わってきたような気がしました。それまでは余り考えたり、思ったりもしなかった、三途の川、成仏,死、墓、葬儀などの言葉が時折、脳裏をかすめるようになりました。このようなことは若いころには絶対にありえないことでした。このような現象を感じるのは肉体の衰えによる、気力の低下に起因しているのではないかと考えるようになってきました。

 

2019年の厚労省のデータによる男子の平均寿命、健康寿命はそれぞれ81歳と73歳です。73歳の健康寿命は無事に経過し、81歳の平均寿命までは後4年で到達します。人間の病気の事は、日進月歩の現在の医療技術をもってしても予測する事は難しいです。今日まで難病といわれるような病気、がん、などには幸いにして罹患したことはありませんが、病気の事は誰にも分からないので、これから先の事は不気味です。現在の私の健康状態は、本態性高血圧症でやや血圧が高いので、降圧剤の処方箋を自宅の近くのクリニックで出してもらっています。血圧の状態は降圧剤の効果のおかげで安定しており、年2回の健康診断の結果も良く、今まで精密検査を受けなければならない事は一度もありませんでした。もうすぐ喜寿を迎えることになりますが、体の悪いところはないのですが、先程も書きましたが、年齢からくる体力の衰えが気力を弱くしていると、つくづく感じられるようになってきました。これからは傘寿の80歳を目指して、歳を重ねていくのですが、無事に80歳を迎えられるか心配です。80歳を迎えられなくても、私自身が考える理想の健康死を目指して、与えられた人生は後何年になるのか分かりませんが、毎日を悔いのないように過ごしていきたいですね。

 

はじめての俳句8

ビオラの寄せ植え

今月の有名俳人は明治、大正、昭和の中頃までの三時代に活躍された、高浜虚子について書いてみたいと思います。この時代は現在のような医療技術が進んでおらず、肺結核で若くして、多くの有名作家が亡くなられています。そんな中で高浜虚子は数少ない長寿の作家で85歳で亡くなられるまでに、なんと20万余の俳句を作られたそうです。高浜虚子は同郷の先輩である正岡子規に師事し俳句を学びます。虚子は俳号、本名は清で、名付け親は正岡子規です。正岡子規没後はホトトギスの主宰になります。ホトトギスは明治、大正、昭和の前期に最も売れた文芸誌で、俳句の他小説、随筆などが掲載されており、夏目漱石の初期の作品、坊ちゃん、吾輩は猫である、はホトトギス誌上で発表されています。高浜虚子は同じ正岡子規の門下生で強力なライバル関係だった河東碧梧桐が、従来の伝統的俳句から、5・7・5の17文字、季語の有無に拘らない、新傾向俳句を提唱し、高浜虚子と袂を分かつことになります。高浜虚子はその後日本の伝統美である、花鳥風月、折々の季節感を取り入れた有季定型(句の中に季語は必ず入れ、文字数は5・7・5の17文字とする。)俳句を標榜し、河東碧梧桐とは一線を画すようになります。河東碧梧桐が提唱した新傾向俳句は、現在では無季俳句と自由律句に別れて作句活動をされていますが、江戸時代から続く伝統的俳句、有季定型俳句が圧倒的に多く、無季俳句、自由律句は少数派のようです。

高浜虚子の句

去年(こぞ)今年/貫く棒の/ごときもの

この句は虚子の有名な句でよく知られています。わずか1日で去年から今年になる時のうつろいを一本の棒のようなものだと、越年の感慨を詠まれた句です。

桐一葉/日当たりながら/落ちにけり

この句は虚子の師匠正岡子規の写生の考えを、忠実に守りながら時間の概念を取り入れた句です。桐の葉が一枚秋の日を受けながら、ゆっくり落ちていく情景を詠んだものです。

春風や/闘志抱きて/丘に立つ

この句は正岡子規に師事した同期の河東碧梧桐と、俳句に対する考えの相違から二人は決別し、それぞれの俳句の道を歩む事になります。この時の心境、決意をよんだものです。

 

自作の句

部屋中の/窓を開ければ/風光る

今月の句会の季題は「風光る」です。風光るとは春の日差しが強まり、風が光るように感じられることです。天気の良い日に部屋中の窓を開けると、一瞬で部屋中の隅々までが光輝く様子を詠んだものです。

春炬燵/今日は要らぬと/妻に言う

我が家の寝具は、シンプルで敷布団、掛布団、毛布で冬場の寒い時期は電気炬燵を使っています。二月になると比較的暖かい日もあるので、そんな暖かい日には炬燵はしないのですが、その時の光景を詠んだものです。

粕汁に/舌鼓する/下戸の顔

私は下戸の癖に何故か、粕汁、奈良漬が大好きなのです。冬場の寒い日にはよく粕汁を作ります。我が家では豚肉と野菜をたっぷり入れ、味噌で味をつけます。酒粕は非常に栄養価も高く、健康にも良い食品です。美味しくて、健康に良い粕汁を食べている至福の時を詠んだものです。

遅い初夢

鉢植えの菊ダンテベージュ

最近我が家から車で5分ぐらいの所にあった店舗が閉店され、その店舗をリホームし新たに小型のスーパーが開店しました。そのスーパーの前を車でよく通るのですが、駐車場はいつも混雑状態、賑わっているようなので、このスーパーには何か魅力があるのに違いないと思い、何時か一度は行ってみようと決めていました。操行しているうちに食料品が2~3点切れたので、これはよい機会だと思い、一度行こうと思っていたスーパーに買いに行く事にしました。入店してすぐにこの店の人気の秘密が分かりました。店舗の入り口を入ると直ぐ段ボール箱に入った商品が、陳列棚の代わりに並べられていました。これは販売価格を押さえた、販売形態で低価格を売りにしたスーパーです。勿論陳列台に並んだ商品も安く、私などのような年金生活者にとってはとっても有り難いスーパーです。昨年も1年間に自宅から車で10分圏内の所に低価格を武器にしたスーパー、ドラックストアが相次いで開店しています。消費者にとっては大変有り難い事ですが、店舗経営者は顧客の争奪戦、価格競争と厳しい経営を強いられていることは想像に難くありません。何故このような低価格を売りにした店舗(百円均一店、ファストファション店、靴店等を含む)が増えるのでしょうか。この原因は1990年のバブル経済崩壊以降30年以上続く経済が停滞している時期の事を、失われた30年とも言われています。この間の勤労者の賃金は伸びておらず、特に中小零細企業で働く勤労者は顕著で深刻です。勤労者全体の70%以上を占める低所得者は好むと好まざるとにかかわらず、低価格店舗を利用せざるを得ないのが現実です。これが低価格品販売店舗が増える原因だと考えられます。低価格を売りにした店舗は、売り上げはある程度期待できるかも知れませんが、大事な利益は薄利多売になりますから、苦労は多い割には利益は少ない事が多いようです。

それではどうすれば安売りせず、安定して、なおかつ売り上げ、利益を持続させる方法はないものでしょうか。この問題の解は国の経済規模を表すGDP国内総生産)を大きくすることに尽きると思います。GDP全体の60%が個人消費によるものです。個人消費は国民一人一人の年間消費金額で、その合計がGDPの60%を占める個人消費です。GDPが増えるということは、経済活動が活発になりこれを言い換えると景気が良くなったということです。景気の好循環を繰り返すことが政治、経済の安定につながり、現在日本政府が抱えている最大の難問題、財政危機の解決の一歩に繋がる事は確実です。

 

それでは最大の難問、景気浮揚の好循環を実現するにはどうすればよいのでしょうか、それは一部の少数優良企業に勤める勤労者の消費が増えるだけでは、国全体のGDPは対して増えません。中小零細企業に勤める勤労者の賃金を5~10%の小幅なものではなく50%以上の大幅な引上げを行う事です。20万円の給料の人は30万円に、30万円の人は45万円、40万円の人は60万円に引き上げれば、増加分の何割かは消費に回ると思います。消費が消費を生みこれが正に景気の好循環です。経済はデフレ基調からインフレ基調に向かい、企業は増収増益になり国の収入源である法人税所得税、消費税も大幅に増え、国の債務1200兆円の償却にもめどが立ち、消費税も増えることで社会保障(年金、医療、介護)問題も盤石になり、国の健全財政の道が開けてきます。中小零細企業の勤労者の賃金を増やす問題は非常に難しいかも知れませんが、政府と企業が腹を括って取り組めば実現は可能です。

 

2013年に我が国はデフレスパイラル(経済の停滞状態)からの脱却と2%の経済成長(GDPを2%増やすこと)と2%のインフレを目指した異次元の金融緩和政策を実施、2016年にはそれまでのゼロ金利政策から、更に強力なマイナス金利政策を日本銀行は導入しましたが、その効果は残念ながら見られませんでした。これは安倍政権時の目玉政策アベノミックスが機能しなかったことで、アベノミックスは失敗に終わったということです。経済成長を達成出来ない、異次元の金融緩和政策は改め徐々に正常な金融政策に戻すべきです。そうすれば為替相場は今の円安から円高に向かい、日本企業は積極的に海外展開が可能になり、更なる発展が期待できます。日本企業は現在の円安志向の消極的な経営を改め、円高志向の積極的な経営に舵を切り、再度ドイツ、中国のGDPを抜き世界2位の座に返り咲いて欲しいものです。この実現には政府と民間が一体となって取り組めば可能です。そして日本の目指す最終目標は戦争のない、平和で豊かな世界の日本化を推し進めるべきです。

 

はじめての俳句7

鉢植えの菊ダンテサーモン

今月は江戸時代三大俳人、最後の一人で俳句の中興に功績が大きかったと言われている与謝蕪村について書いてみたいと思います。蕪村は俳句の他、絵画にも優れ重要文化財級の作品を描かれ、それらの多くの作品が美術館に収蔵されています。

絵画では中国の有名な漢詩、十便十宜の十宜の部分に蕪村が挿絵を描いた十便十宜帖、そして蕪村が敬愛する、芭蕉奥の細道全作品を書き写し、そこに十三点の挿絵を蕪村が描いた俳画奥の細道図巻と十便十宜帖は、いずれも国の重要文化財に指定されている素晴らしい作品です。奥の細道図巻は、俳句を芭蕉が作り、絵を蕪村が描くという超豪華な、共同創作による俳画といえるでしょう。

一方蕪村の俳句は写実的、唯美的、絵画的な世界観に特長があります。この点は芭蕉、一茶と大きく違うところではないかと思います。絵画的な世界観を持った三句を紹介したいと思います。

蕪村の句

菜の花や/月は東に/日は西に

この句は蕪村の特徴である絵画的なところがよく出ている句です。一面眼下の菜の花畑に月が東に昇り、太陽は西に沈んでいく、菜の花畑を舞台にした天体ショーを詠んだものです。この場所は蕪村が現在の神戸市灘区の摩耶山を訪れた時に作句されたそうです。江戸時代は照明の明かりには菜種油が使われており、菜種油用の菜の花は、全国的に広く栽培されていたようです。

五月雨(さみだれ)や/大河を前に/家二軒

この句も蕪村の特長である、絵画的、写実的ところがよく出ています。さみだれは梅雨期の長雨のことで、増水した大河の前に二軒の家がひっそりと寄り添って、建っている様子を詠んだものです。降り続く長雨、増水した大河、家二軒は絵になり、現実のありのままの光景を、感情を一切入れず句にしています。

牡丹散って/打重なりぬ/二三片

この句は先の二句と違って唯美的な世界観を表現しています。牡丹の花びらが散って、二、三枚が重なって地上に落ちている、この光景を唯美的な世界観でとらえて詠んだものです。この句にも蕪村の特長である感情、侘び、寂は一切入っておらず、ただ現実のありのままの状態を淡々と句にしています。

 

自作の句

春近し/草木(くさき)の新芽/あちこちに

俳句教室から出された今月の季題は冬の季語で春近しです。春近しは春がすぐ近くまで来ている様子を表しています。自宅の小庭には水仙、つつじの新芽が見られるようになり、その光景を詠んだものです。

碧空(あおぞら)に/ひっそり咲くや/冬桜

いつも利用している図書館のすぐ近くに、小さな公園があり、そこには満開の桜の木があるのですが、誰も気がつかず素通りされています。春桜に比べ冬桜は地味で、華やかさに欠け、空の美しさに圧倒され目立たず、ひっそり咲いている冬桜の様子を詠んだものです。

焼芋は/畑(はた)のスイーツ/甘(うま)しかな

焼芋の美味しい季節です。私も焼芋が大好きでよく買って食べています。最近は芋の品種改良が進み、甘くて、美味しい焼芋が食べられます。蜜がいっぱいにのった、甘くて、美味しい焼芋を食べた時の、至福の気持ちを詠んだものです。

能登半島地震

ドレッシングの空き瓶を利用したペチニアの一輪挿し

毎年年の初めには、今年はどんな年になるのか、あれこれと詮索し、思いめぐらすのが毎年の決まりです。しかし今年はどんな年になるのか、考える暇もなく、一月一日の夕方に衝撃的なニュースが飛び込んできました。

スマホ緊急地震速報がけたたましく流れ、我が家の蛍光灯が大きく揺れ、久しぶりに地震による恐怖感を覚えました。テレビからはアナウンサーの能登半島震源とするマグネチュード7.6、震度7と絶叫調の声で、地震に対する注意事項を何度も繰り返し放送されていました。

 

火災、津波も発生し、至る所で道路が寸断、山崩れなど翌日になって被害が明らかになるにつれて地震の規模の大きさが分かってきました。

 

地震の翌日の、二日夕方遅く地震の被害地に送る救援物資を積んだ、海上保安庁の航空機と日本航空のジャンボ機が羽田空港の滑走路上で、衝突炎上し、ジャンボ機の乗員、乗客は全員無事、奇跡的に救出されましたが、海上保安庁の航空機は乗員五名、パイロット一名のうちパイロットを除く乗員五名が全員死亡という大惨事になりました。この事故は地震が起こらなければ発生していませんでしたので、この航空機同士の事故は地震による二次災害とも言えます。そしてこの事故は自然災害ではなく、明らかに人為的なミスによる人災であることに間違いはありません。

 

地震発生から一週間たちますが、死者二百名以上、安否不明者二百名以上、避難者三万人以上(一月七日現在)といわれています。阪神大震災東日本大震災熊本地震と我が国は巨大地震の傷跡がまだ完全に癒えていない、この時期にまたもや能登半島震源とする大地震です。日本は世界にも例のない、自然災害大国です。

地震、火山噴火、台風、集中豪雨、雪害、竜巻などの自然災害が毎年日本の何処かを襲って大きな被害を与えています。災害は忘れたころにやって来るという言葉がありますが、この言葉はもはや死語になってしまいました。

 

頻繁に襲ってくる自然災害による人的な被害、経済的な損失ははかり知れません。人類はこの二〜三百年の間に目覚ましい科学技術の進歩のおかげで人々を豊かにしてくれた面もあります。現在ではさらに技術は進み人間の頭能よりも優れたAI(人工知能)も開発されていますが、地震、台風、集中豪雨といった自然災害に対しては全くの無力です。

 

日本には四季があり美しい山、河、自然の景色は世界に類がありません。そのおかげで日本は農業資源、漁業資源、観光資源に恵まれ、能登半島もその例に洩れず、能登半島は豊かなところですが今回の地震で甚大な被害が出たようです。また元の能登半島に戻すのにはどれだけの時間とお金がかかるのかは分かりません。

 

過去の大地震、大型台風、集中豪雨といった大災害の被害からもその都度、粘り強い努力と不屈の精神力で乗り切っています。今回の能登半島地震もきっと日本人の英知、と不退転の実行力で、過去の大災害と同じように克服されるものと固く信じています。