スーパーボランティア

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真夏の花の日日草です。今も元気に咲いてくれてます。

2018年山口県の山中で行方不明になった2歳の男の子を無事発見され

スーパーボランティアと呼ばれるようになって、全国的に有名になられた尾畠春夫さん(81歳)が9月27日~10月1日の5日間新聞に、連載コラムを書かれ大変興味深く

拝読しました。コラムの内容は尾畠さんの生い立ちから、現在のボランティア活動をされるまでの経緯経過を詳細に書かれています。尾畠さんのコラムを拝読し感動、驚愕した事を書いてみたいと思います。尾畠さんの実家は貧しくて、尾畠さんが小学校5年生の時に農家に奉公に出され、奉公先での生活は苦労の連続だったようです。朝5時から夜中まで農作業、農耕馬、牛の世話をされ、中学校に入ると殆んど出席出来ず、出席日数不足で卒業が危ぶまれましたが、先生方の恩情で何んとか卒業出来たそうです。就職先は住み込みの魚屋さんで、そこでの経験から将来は自分も魚屋さんの独立開業を目標に仕事に励まれましたが、何分給料が安いのでなかなか開業資金が貯えられないので兄さんに相談すると、給料の良いとび職を紹介され、3年間は睡眠は1日数時間、休日は返上でがむしゃらに働かれて魚屋さんの開業資金をつくられ、実家のある大分に戻られ魚屋さんを開業、65歳まで続けられその後きっぱり止められました。魚屋さんの開業資金を得るために働かれたとび職の経験が後のボランティア活動に大いに役立ったそうです。

実家から小学校5年生の時に農家に奉公に出され、就職、魚屋さんの開業まで多くの

苦難を乗り越えられ、誰の援助も受けられずに65歳まで努められたのは本当に立派だと思います。私にはとても出来ません。尾畠さんが魚屋さんを止められて6年後の

2011年3月に東日本大震災が発生、テレビニュースで地震の惨状を知り、ボランティア活動をする事を決められ、軽トラックにボランティア活動に必要な道具一式と食品を積み込み大分を出発されます。この時尾畠さんは既に71歳で決して若くはありません。大分からボランティア現場の宮城の南三陸町まで、軽トラックを一人の運転では3日はかかります。到着後ボランティア活動に参加され、軽トラックに寝泊まりしながら

500日間ボランティア活動をされます。これはとても人間の業とは思えません。本当に頭の下がる思いです。

尾畠さんはボランティアについてボランティアはするのではなく被災者の立場になって

させて頂きますという気持ちでされているそうです。尾畠さんのボランティアに対する

凄い哲学だと思います。尾畠さんは1か月の生活費を国民年金の6万円以下で過ごされ

、健康保険は10数年間使ってないそうです。そして食事は庭で採れる野菜、川辺、

土手などで摘んだ野草を調理し、これに梅干とパックご飯があれば十分とのことです。

私も健康については色々思うことはあるのですが、尾畠さんの連載コラムを拝読し私の

健康観が吹っ飛び、改めて健康観については考え直さないと、いけないと思うことばかりです。