喜寿を迎えて

地植えの黄水仙

私は来月の四月で77歳の喜寿を迎えようとしています。高齢になって年齢を祝うのは若い方から、60歳の還暦、70歳の古稀は、どちらも無事に過ごす事が出来、77歳の喜寿も、何事もなく迎えようとしています。そして次の80歳傘寿、88歳米寿、90歳卒寿、99歳白寿、108茶寿を目指していくことになりますが、さて何歳まで生きられることでしょう。人間の寿命には、平均寿命、健康寿命、労働寿命、資産寿命、貢献寿命と色々あるそうですが、その中でよく知られているのは、平均寿命と健康寿命です。色々ある寿命の中で最も重要なのは健康寿命ではないでしょうか。健康寿命は何歳まで人手を借りず(介護を受けず)自力で元気に生活できる年齢のことで、平均寿命は亡くなられた人の年齢の平均値です。平均寿命と健康寿命の差は小さければ小さい程よく、理想は平均寿命と健康寿命がほぼ同じの場合です。このケースだと介護を受ける事もなく、天寿を全うすることが出来、本人の経済的、肉体的負担も少なく、何よりも介護する当事者、家族に与える負担も殆んどなく、理想的な寿命の終え方ではないでしょうか。このように天寿を全うする事を、世間ではピンピンコロリと言うそうですが、私はこれを健康死と呼ぶことにしています。私の回りには70歳前で病気により、要介護状態に入り、その後20年以上介護を受けながら亡くなった、身内を身近に見てきました。そう言った経験上からも、健康寿命を特に意識するようになり、日々日常の健康管理には気を付け、家族には介護の心配をさせないように、細心の注意を払いながら過ごしています。自分の人生を振り返ってみますと、60歳の還暦、70歳の古稀を迎えたころは、殆んど肉体的、精神的な変化、変調を感じることはなく、過ごしていましたが、75歳の後期高齢者を迎えたころから、少し様子が変わってきたような気がしました。それまでは余り考えたり、思ったりもしなかった、三途の川、成仏,死、墓、葬儀などの言葉が時折、脳裏をかすめるようになりました。このようなことは若いころには絶対にありえないことでした。このような現象を感じるのは肉体の衰えによる、気力の低下に起因しているのではないかと考えるようになってきました。

 

2019年の厚労省のデータによる男子の平均寿命、健康寿命はそれぞれ81歳と73歳です。73歳の健康寿命は無事に経過し、81歳の平均寿命までは後4年で到達します。人間の病気の事は、日進月歩の現在の医療技術をもってしても予測する事は難しいです。今日まで難病といわれるような病気、がん、などには幸いにして罹患したことはありませんが、病気の事は誰にも分からないので、これから先の事は不気味です。現在の私の健康状態は、本態性高血圧症でやや血圧が高いので、降圧剤の処方箋を自宅の近くのクリニックで出してもらっています。血圧の状態は降圧剤の効果のおかげで安定しており、年2回の健康診断の結果も良く、今まで精密検査を受けなければならない事は一度もありませんでした。もうすぐ喜寿を迎えることになりますが、体の悪いところはないのですが、先程も書きましたが、年齢からくる体力の衰えが気力を弱くしていると、つくづく感じられるようになってきました。これからは傘寿の80歳を目指して、歳を重ねていくのですが、無事に80歳を迎えられるか心配です。80歳を迎えられなくても、私自身が考える理想の健康死を目指して、与えられた人生は後何年になるのか分かりませんが、毎日を悔いのないように過ごしていきたいですね。