危うい中国経済

地植えのコリウスとベコニア

最近の中国情勢は日本だけでなく世界の国々が複雑になってくる中国との付き合い方に苦慮している。そのような中国とどのように向き合えばよいのか考察してみたい。

中国経済は過ってのような勢いはなく、経済成長率の低下、若年労働者の失業率の上昇など経済環境は非常に悪化している。不動産不況は特に深刻で日本の30年前の不動産バブルに酷似している。中国政府は国内経済不振の目を逸らす為に、福島の原子力発電所からでる処理水の海洋投棄に難癖を付け日本からの海産物の輸入を全面的に禁止する政策をとってきました。中国の海産物の日本からの輸入量は全輸入量の5%位ですので禁輸になっても中国には大きな影響はありません。日本をパッシングすることで、中国国民の経済的な不満を抑えることに重きを置いているように思われます。中国政府は自国で不都合な事案が発生すると、政治的圧力を掛けて解決しようとする姿勢は今も変わりません。このような中国政府の強権的、覇権的な政治スタンスに日本政府はどう対抗すればよいのでしょうか。それはまず日中間の貿易を見直し、経済面での中国依存度を引き下げる事です。中国経済に頼らずとも、日本経済は発展、成長する経済シナリオを官民上げて取り組むべきです。中国経済依存度の高い安易な経済政策は見直し中国経済抜きでも十分にやって行ける事を示す必要があります。今回の処理水の問題でも、中国は日本経済に依存していないから、日本に対して言いたいことを自由に発言しています。現在中国との貿易額は輸出、輸入共に20%を占めています。これが日本の立場を弱くし、日本は逆に中国に言いたい事が言えない理由になっています。日本が中国経済頼みの経済になっているからです。このことを打開するには外需(特に中国)に頼らない、内需拡大親日国との貿易量の拡大による経済の底上げで1990年から30年以上経済成長が止まったままの日本経済を甦らす事です。これが実現すれば財政上の諸問題も一気に解決し、希望に満ちあふれた明るい日本の未来が見えてきます。これは中国は勿論、友好国の米国も含め一国の経済に頼る危うい政策は取るべきでなく、内需拡大による循環型経済に移行すべきで、平行して親日国家に対する貿易の拡大政策も進め

経済成長を軌道にのせる事が出来れば、中国に抜かれたGDP2位の座を奪回する事も不可能ではない。消費→投資→所得向上の循環型経済の継続が出来れば、冒頭に書きました、中国経済は日本の30年前の不動産バブル崩壊の状態に酷似していますので、日本はGDPで中国に追いつき、追い抜きGDP世界2位の座を奪回する事も夢物語ではないと思います。

はじめての俳句 2

日日草の寄せ植え

今月は6月、7月に作句した6句を投稿します。

6月度

突然の/澤瀉散るに/涙する

歌舞伎の澤瀉屋(おもだかや)家族心中事件の一報には大変驚きました。あのような方法しか解決の選択肢が無かったのかと思うと残念でなりません。亡くなられたご両親の年齢が私達夫婦と全く同じで、屋号の澤瀉屋の澤は私の苗字と同じです。この句は亡くなられた元歌舞伎俳優夫婦に哀悼の意を表す為に詠んだものです。

 

腹巻を/始め幾年/病しらず

腹巻は寝冷え防止に使う物で夏の季語になっています。私はこの腹巻を40年以上使い続けています。それ以来風邪、インフルエンザ、頭痛、腹痛などの体調不良になった事がありません。現役時代体調不良が原因で仕事を一度も休んだ事が無く、私はあまり自慢出来る事が無いのですが、このことは内心ちょっぴり自慢出来るのではないかと思っています。これは間違いなく腹巻の効用の賜物と確信しています。

 

華麗なる/愛の遍歴/谷崎忌

俳句には季語が必要ですが(季語を使わない無季の句もあります。)一般的には花鳥風月、植物、動物、食物、など季節感のあるものがよく使われています。これら以外に有名俳人、小説家、詩人、歌人などの命日を季語とする忌日俳句があります。良く使われているのは松尾芭蕉正岡子規夏目漱石森鴎外など人気の高い俳人、小説家が多いようです。今回は谷崎潤一郎の忌日俳句にトライしました。谷崎潤一郎は私が文学に興味と関心をもった最初の小説家です。谷崎潤一郎の生涯に関する資料と、三度目の夫人との間で交わされた書簡集を読んで感じたことを句にしました。ただ谷崎潤一郎の作品を読み切ったものはありません。

 

7月度

日日草/美の競演を/満喫し

日日草は毎日初夏から秋(10月頃)まで咲き続けます。三種類の色の違う寄せ植えを三つ育てています。毎日毎日この三色の日日草が競うように咲いてくれています。この光景を詠んだものです。添付の写真が日日草三種類の寄せ植えの一つです。

喉越しの/冷素麺は/醍醐かな

私は素麺が大好きで夏の間は週に何度も食べています。つゆは一般的なものと、私のこだわりのつゆは、らっきょう酢、だし醤油、みりんを適度に加えたものです。これはさっぱりして酷暑の時に食べる素麺は極上の美味しさです。それで少しオーバーな表現の醍醐を使いました。醍醐は極上の美味というような意味です。

向日葵に/平和を祈る/ウクライナ

ひまわりはウクライナの国花で、ひまわりはソフィア・ローレン主演のイタリア映画でも有名です。美しいひまわり畑のシーンで流れる音楽は映画音楽の最高峰といえます。私も映画音楽のジャンルでは最も好きな一曲です。あの美しいひまわりの国で悲惨な戦争が今も行われており、一日も早く戦争が終息して欲しい気持を句にしたものです。

 

 

 

 

内科医院での出来事

ペチニアレモンエロー

私は大慨の病気には医療機関には行かずセルフメディケーション(自分自身で病気の診断を行い市販薬を使い治療を行う事で、アメリカのように公的健康保険制度のない国では普通に行われています。)を実践しています。ただ何度挑戦しても、自力で治せないのが高血圧症です。その為やむを得ず2ヶ月に一度降圧剤の処方箋を内科医院に出してもらっています。今回は前回に年一度の血液検査を行ってもらったため、血液検査の結果と処方箋を一緒にもらいました。現在出してもらっている降圧剤の特許期間が切れたため、ほぼ一方的にジェネリック医薬品に切り替わる理由を、簡単な説明で薬剤師から告げられました。これは現在の日本の逼迫した医療財政の事を考えるとやむを得ない措置かも知れません。このおかげで薬局の窓口に支払うお金は前回までの半分で済むことになりました。年一回受けている血液検査は検査項目45あり、そのうちで中性脂肪の数値が159(基準値は35~150)で若干高いだけであとは問題なく非常に良い状態と医師からお褒めの言葉を頂きました。

本日のこの内科医院には80歳以上と思われる高齢の患者さんが3人診察に来られていました。1人は私が待合室に入ると既に来院されており、小太りで丸首の半袖の下着にズボンという服装で、お腹が見える状態でベンチシートに座り仮眠されていました。この光景にはちょっと驚きを禁じ得ませんでした。この高齢患者さんは家族に送迎されての来院か、タクシーか自力での来院かは分かりません。その後2人の高齢患者さんも来院され、1人の高齢患者さんは家族に付き添われ、この患者さんはお腹から管が出ており、胃瘻されているようで胃瘻患者特有の痩身が見られます。最後に来院された高齢患者さんは腰が45度に曲がっており、スキーのストックのような杖を両手にもち、杖をつきながら待合室に入ってこられました。この高齢患者さんも家族の送迎か、タクシーか自力で来院されたのか分かりません。なぜこのような高齢患者さんの行動、動作に関心があるのかといえば、私も後数年もすれば3人の高齢患者さんの年齢の域に到達するからです。現在家内との二人暮らしでそれぞれ人の手を借りずに生活できていますが、この生活は永遠に続くことはありません。どちらかに介護が必要な時がいつかは来る、その時は予測できませんがどちらかが元気であれば何とか一時は乗り切る事はできますが、両方が同時に介護が必要な事態になれば途方にくれます。今日内科医院で会った3人の高齢患者さんの内1人は家族の付き添いで来院されていたので、家族と同居されていると推測されます。後2人の高齢患者さんはどうして帰宅されたのか分かりません。2人の院内での歩行状態から判断して長い距離の単独歩行は難しいと思われます。2人の高齢患者さんがどうして帰宅されたのか、家族の迎えがある事を期待しながら内科医院を後にするのでした。

 

はじめての俳句

夏の花の日日草、ペチニア、ベコニア、百日草などです。

四月からはじまりました、はじめての俳句教室での作品四月分、五月分合わせて六句を今月のブログに書いてみました。講師に指摘された誤字,誤用、文語体の間違いは書き改めています。俳句は縦一行で書くのが正しい書き方ですがブログでは縦書きが出来ないので読み易いように5/7/5の横書きにしています。はじめたばかりの拙い俳句ですがどうかお読みいただければと思います。

四月度

初蝶が/訪ねしところ/我が庭に

今は老夫婦だけになった我が家の鉢植えの花に今年も蝶が飛来し老夫婦を慰めてくれる光景を詠んだものです。これは鴨長明の無常論、すべての物は生滅、流転し永遠に変わらない物は一つもないという世の無常観に符号します。過っては我が家にも、賑やかな人の往来がありましたが、現在では殆んどなくなり、一年に1~2度子供が孫を連れて帰って来るぐらいです。添付の写真の花に蝶が飛来してくれます。最初は必ずモンシロチョウで続いてアゲハチョウ、シジミチョウの順できてくれます。

並木道/主役替わるか/花水木

宝塚市は並木道に花水木が多く採用されています。三月末から四月初旬は桜の満開があちら、こちらで見られます。葉桜になる前に花水木の開花がはじまり、この光景を詠んだものです。花水木は明治時代当時の東京市長がワシントンに桜(ソメイヨシノ)を贈った返礼として贈られたそうです。今では全国に普及し並木として花水木は三番目に多く採用されているそうです。

海棠も/新たな出会い/祝福し

この句は二人の子供が小学校、中学校、高校、大学、会社の入学、入社といった節目節目の折に満開になる花で、二人の子供たちは夢と希望に胸を膨らませ、新しい出会い求め出発する様子を詠んだものです。

 

五月度

悩ましき/端午の祝い/1人増え

去年男の孫が生まれ二人になり、誕生日祝い、初節句と何かと物入りで財布の中味が気になる複雑な心情を詠んだものです。

薫風に/良き転寝を/誘われる

これは多くの人が何度も経験されたのではないかと思います。五月の爽やかで気持のいい風が吹いているところで読書などをしていると私の場合必ずといっていい程転寝(うたたね)をしてしまいます。その光景を詠んだものです。

硝子戸を/舞台にデビュー/守宮かな

私の家の台所はアルミサッシの硝子戸になっています。毎年四月頃になると夜に明かりを求めて虫が集まってきます。その虫を捕食するために活動する守宮(やもり)の光景を詠んだものです。守宮と井守(いもり)は混同される事があります。守宮は爬虫類で井守は沼、小川などに生息する両生類でどちらも俳句では夏の季語になっています。

 

次の記事は八月中旬に鴨長明風の随筆を書く予定です。

ブログ再開に当たって

中国原産のバラ科の庭園用花木です。

ブログを始めて一年程続けていたのですが、思うような文章が書けず現在中断しています。ブログを始めた動機は、私は習慣的に新聞のコラム記事(囲み記事)を隈なく毎日熟読していました。コラム記事のような文章だったら自分でも書けるのではないかと錯覚したのと、思慮浅い判断がいけなかったようです。プロのコラムニストはそれぞれの分野に精通された専門家で経験豊富、優秀な人達ばかりです。私のような素人がプロの書き手と比べる事自体がナンセンスな事です。理想とする文章を一朝一夕に書こうと思っても書けない事を知り、今心に思うことを自由気ままに書いていくことにしました。今年市内ではじめての俳句教室開催の案内があることを知り、文章上達の助けになればと思い、一念発起して教室に通う事にしました。俳句は現在まで一度も詠んだ経験はありません。上手に詠めるか不安でしたが始めてみるととても面白くて、奥が深く、心を

豊かにしてくれる文学である事を印象づけられました。ブログの投稿は月四回行っていましたが、今月(七月)からは月二回の投稿で再開します。一回は俳句教室で詠んだ句を投稿します。後一回は敬愛する鎌倉時代の随筆家鴨長明吉田兼好とその作品方丈記徒然草、政治、経済などについてを、徒然に任せて私なりに思うことを気楽に書いていこうと思っています。

 

添付の写真は四月に詠んだ句の季語にしている海棠で自宅玄関前に植えています。四、五月分の俳句まとめて七月末投稿予定です。

以前と余り代わり映えがしないブログになっているかもしれませんが、ご覧になっていただければ幸いです。

 

私のブログ休止か中止

花の種類はベコニア、日日草、ペチニア、シニアプロフュージョンです。

ブログを始めて10か月が経過しました。週1回月4回の公開で41回目になりました。今回私のパソコンの扱いの未熟さが原因と思われる、ブログ記事書き込み画面が開かず更新できなくなりました。私の力では復旧出来ず、パソコンのインストラクターに連絡3日後なら都合つくということで、3日後訪問ブログ画面をチェックされ、どうも私の無意識のうちに操作したことが不具合を発生させていたようです。現在使用中のパソコンは購入して10年ほどになり、OSのサービス保証期間が来年の1月で終了になります。去年故障で修理してもらい、最近も動作が悪くなる事もあり、新しく買い替えなくてはいけないと思っていた矢先のトラブルでした。ですから最初はパソコン本体の不具合かと思いました。そんなパソコン本体上の問題の他、現在まで書いてきましたブログの内容の質を高めるための充電期間期間を取リ、私自身の体力、気力、精神力が続くようでしたら、パソコンも新しいものに買い替え、再度ブログに挑戦、その場合はSNSツイッターを利用して積極的に私自身のブログをPRしていきたいと考えております。鎌倉時代の随筆家吉田兼好鴨長明現代社会を見たらどんな風に表現されるかみたいなことを書ければいいなと思っています。実現できるかどうかは全く分かりませんが半年から1年後を目標に頑張ってみたいと思います。今までご覧になって頂きありがとうございました。

ESG

日日草の白です。

ESGという文字を新聞紙上で見かけない日は無い位良く目にします。ESG に関するセミナー、講演会、討論会が全国各地何処かで開催されています。ESGとは英語の

Environment(環境)、Social (社会)、Governance(企業統治)のそれぞれの頭文字をとっています。ESG を要約すると企業が、環境、社会、企業統治にどれだけ配慮、重視した経営を実践しているかを公開する事です。ステークホルダー(利害関係者)と言われる株主、金融機関、債権者、消費者、仕入先、地域社会に対するESG 情報の開示が義務化される見通しです。ESG はESG 経営、ESG 投資とも言われ、ESG 経営は企業が環境、社会、企業統治を重視した経営を積極的に行う事です。ESG 投資は金融機関、機関投資家がESG 経営を実践している企業に有利な条件で投融資する事です。それではESG の個々の意味についてEの環境から例を上げてみます。これは何と言っても地球の温暖化による気象変動が、毎年世界中で多発している、自然災害は喫緊の問題になっています。この原因は化石燃料(石油、石炭、天然ガス)を燃焼する時に発生する二酸化炭素でこれを発生させないグリーンエネルギー(再生エネルギー)の開発に取り組んでいる企業などは典型的な環境問題を重視した企業です。次にSの社会は企業が人権を尊重し、性別、国籍の違う多様な人材の活用を行う事です。最後のGの企業統治コンプライアンス(法令順守)を徹底し、役員の不祥事、不正、汚職の防止をチェック出来る体制を整えることです。これらの三つのテーマすなわちESG を企業経営に取り入れ、世界的な問題である地球の温暖化、発展途上国の貧困問題などを解決して、持続可能な社会の実現を目指す事です。従来の企業の価値判断の基準は財務情報の貸借対照表損益計算書が良ければ全てだとする株主主義の弊害が世界中で見られます。これからの企業の価値判断の基準は財務情報だけでなく、各企業がどれだけESGに取り組んでいるかの非財務情報をより重視しなければならないと思います。ESGに積極的に取り組んでいる企業には国も、投資家も応援する事によって、地球環境問題、発展途上国の貧困問題などに貢献できるのではないかと思います。