日本経済浮揚の鍵

観葉植物のコリウス

日本のドル建て換算による名目GDP国内総生産)が2023年度中にドイツに抜かれて、世界3位から4位転落する見通しであることが国際通貨基金IMF)の公表でわかりました。日本経済の凋落ぶりからして2~3年後にはインドに抜かれて4位に転落するだろうと予測はしていました。ところがインドではなくドイツに今年中に抜かれて4位になるとは予想さえ出来ず、驚きのニュースに一瞬耳を疑いました。GDPは一国の経済力の大きさを表す指標で、日本は2010年に中国に抜かれるまでは世界2位の経済大国でした。日本が1960年代に当時の西ドイツから2位の座を奪ったのですが、奇しくも3位の座を奪い返されたという皮肉な結果になります。それでは日本がなぜドイツに抜かれ3位から4位になったかです。その最大の理由はバブル経済崩壊後の1991年以降の32年間の名目GDPの伸びが日本は1.1倍に対してドイツは1.9倍で、直近の2023年度のGDPの対前年比は日本が0.2%減に対してドイツは8.4増でこれらの事が最大の要因になっているようです。その他にドイツ経済の高インフレ体質と反対に日本のデフレ体質、日銀の低金利政策により、1ドル150円迫る円安などが重なり一気にドイツに抜かれ日本は4位に転落しました。本来なら50%も円の価値が下がれば輸入物価は大幅に上がり大きなインフレになってもおかしくないのですが、日本経済は以前デフレを志向しています。これが今の日本経済における最も深刻な問題です。このことを具体的に説明します。日本は1991年にバブル経済崩壊による不況が始まり、物価は下がり続け、現在までデフレ状態が続いており、GDPは殆んど伸びていません。

GDPの60%は個人消費が占めており、これが伸びないとGDPも伸びません。個人消費が伸びないのは全勤労者、年金生活者の収入(可処分所得)が増えない事に起因しています。可処分所得が増えないので、買い控えたり、少しでも安い価格の物を選択するのは当然の成り行きです。これの繰り返しの事を経済学的にいうとデフレスパイラルです。1991年以降32年間も続いており、この期間の事を失われた32年間とも言われています。それではこのデフレスパイラルを断ち切るのにはどうすればいいのかです。一般的な経済理論ではデフレに対する処方箋は、金融緩和政策が有効であるという理論に基づいて、日本銀行は2016年に政策金利をそれまでの0%からマイナス1%に引き下げて景気浮揚をねらったのですが、7年も経過していますが一向に良くなる気配は全くみられません。これは当然といえば当然で多くの勤労者の収入(可処分所得)

が増えていないので、消費したくても出来ない状態に置かれているからです。一部の輸出が伸びている企業は円安の効果もあって利益が出て社員の収入が増えている企業もありますが、それは日本全体を俯瞰して見れば極一部の企業です。大半の企業、とりわけ中小零細企業の勤労者の賃金水準は極めて低く、消費を抑えなければならない状況に、常に置かれています。この現実が日本のGDPの伸びを妨げているのです。この問題の解決には一にも二にも勤労者の収入(可処分所得)を大幅に引き上げ、勤労者、年金生活者の将来不安を払拭させることです。消費が消費を生む経済の好循環になればGDPも増え、国の収入である税収も増え、今日本が抱えている一番深刻な問題、GDPの2.6倍の1300兆円まで膨れ上がっている政府の借金を減らす事も期待出来、実現すれば円の国際価値も上がり円高に向かいます。日本の国全体が活性化され経済成長率が伸びない限り、近い将来GDPはインドにも抜かれ5位に転落する事は確実です。これを免れるには政府、企業が一丸となって全勤労者の収入(可処分所得)を増やす事に尽きると思います。

 

可処分所得

可処分所得社会保険料(健康保険料、厚生年金保険料、雇用保険料)、所得税、住民税を給与収入から差し引いた金額で、自由に使える手取り金額の事です。

 

可処分所得を増やす方法

可処分所得を増やす方法は二通りあります。一つは国の政策で社会保険料所得税、住民税を引き下げる事です。もう一つは企業が給与収入を引き上げることです。これを同時に実施にすれば景気浮揚により効果的です。

 

はじめての俳句4

トレニアの花壇植え

今月から毎月作句している自作の句3句と有名俳人の句で、私がいい句だなと感じたものを3句投稿します。1回目の本日は俳諧から俳句に発展させ、現在俳句の原典の基礎造りをされた松尾芭蕉の句3句を紹介します。松尾芭蕉といえば東北、北陸地方を旅をしながら、吟行、紀行文を書かれた奥の細道が大変有名です。今月の有名人俳句3句は奥の細道に掲載されている2句と、松尾芭蕉が亡くなられる1ヶ月程前に作句された辞世の句の3句とします。

10月度自作の句

新米や/今年も来るか/気もそぞろ

毎年10月になると新しく出来た親戚からブランド米の新米を送って頂くようになり今年も頂けるのかなと心待ちしている心境を詠んだものです。

鶏頭や/凛として立つ/美しさ

家の近所のお宅の庭に鶏頭が10本位植えられており、8月の台風にもめげず、猛暑にも耐え凛として、花を咲かせている姿を見て詠んだものです。

黄落の/臭いの中を/拾うけり

街路樹として植えられている銀杏の木が黄葉し、実と葉が落ち悪臭の中のギンナンを拾う様子を詠んだものです。この句はミレーの絵落穂拾いからヒントを得たものです。

 

松尾芭蕉の句

夏草や/兵どもが/夢のあと      (奥の細道から)

この句は人の世は、儚いものだという無常観に溢れた句です。心に残る句には無常観の句が多いです。この句は志を持った多くの兵士が命を掛けて戦った場所に立って世の無常をしみじと嘆いている様子を詠んだものですね。

閑さや/岩にしみいる/蝉の声     (奥の細道から)

この句は誰もが知っていると言っても過言ではない有名な句です。この句の素晴らしさは、何と言っても難しい言葉を一切使わずに作句された事です。場所の情景が浮かび、松尾芭蕉の感性の鋭さと深さが感じられます。芭蕉が詠んだような同じような環境で吟行を行ったとしても、私のような凡人には決して作れない素晴らしい句です。

旅に病んでは/夢は枯野を/駆け巡る  ( 辞世の句 )

この句は芭蕉が亡くなる1ヶ月程前に作句された辞世の句です。芭蕉は旅を好み、病の床にあってもなお見知らぬ場所を訪ね、作句の願望が夢の中で駆け巡ると詠まれているように思われます。

 

 

危険を孕む中国政治

ベゴニア ビッグ レッド



 

今の中国の政治状況は表面的には落ち着いているかのように見えるがその実は経済の停滞により、国民の間に苛立ちが充満している。コロナ禍による日本に対する団体旅行の規制が8月に解除されたが、中国人旅行客はコロナ禍前の2019年の実績に遠く及ばない。この原因は福島の原子力発電所の冷却処理水の海洋投棄に中国政府は日本に対して強く抗議しており、それに便乗した国民が反日的になったというよりは、むしろ中国経済の不振により、若者の失業率は20%を超え、不動産バブル破綻は30年前の日本の状況に酷似している。こういった不況感が国民の間に浸透し、お金のかかる外国旅行より国内旅行を選択している理由ではないだろうか。中国政治の基本は中国共産党が政治、経済、国民をコントロールする共産主義的資本主義である。この中国独自の国家運営システムに軋みが生じているように感じられてなりません。その根拠としては最近立て続けに主要閣僚の外務大臣防衛大臣が失脚、更迭され、民間では中国最大の不動産グループ恒大集団の会長が不正を行い身柄を拘束される事件が報道されています。国民を疑心暗鬼にする密告奨励制度が制定され、特別重大な情報提供者には200万円以上の報奨金が支払われます。対外的には中国と国境を接する周辺国が怒りを買うような国恥地図なるものを作成し世界に公表しています。国恥地図とは中国と国境線が未確定な国に対して一方的に中国領土にした地図で当然国境を接する国は猛反発しています。日本の関係では日本の固有領土である尖閣諸島は中国名の釣魚島と書かれています。日本も当然中国政府に対して抗議しています。2014年頃から南シナ海南沙諸島岩礁地帯に領有権を主張しているフィリピン、ベトナムを無視して人工島を建設しており、現在戦闘機が離着陸出来る滑走路まで出来ている。更にこの地域を埋め立て人工島を建設すれば周辺国の反発が予想される。一方東シナ海では日本固有の領土である尖閣諸島に中国公船、中国漁船が領海侵犯を繰り返しており日本の海上保安庁の巡視船と一触即発の状態です。そして中国政府最大の懸案事項である、悲願の台湾統一問題の解決が浮上しています。習近平氏は台湾統一問題は常に中国国内問題である事を強調しており、他国が介入する事に釘を刺している。習近平氏は平和的、軍事的の両面で統一の可能性を探っており、軍事によらない平和的な統一は歓迎されるが、侵攻による統一を選択をすれば、現在行われている、ロシアのウクライナ侵攻と同じ構図になります。もし中国が台湾に侵攻すればこれはロシアのウクライナ侵攻とは比べようが無い位世界経済に大きな影響をあたえるでしょう。台湾の半導体メーカーTSMC半導体シェアは世界一で68%占め、時価総額は日本一のトヨタ自動車の2倍の62兆円の超巨大企業です。中国が台湾に侵攻しTSMCの工場が操業停止になれば、半導体不足が生じて世界の工場の生産活動が大混乱になる可能性が危惧されます。侵攻によるメリットは全く何もなく無益でロシアのウクライナ侵攻を見れば分かるとうり莫大な負の遺産が残るだけです。中国は何千年の歴史があるのだろうが、領土膨張主義の野心を捨てて話合いで平和的な解決が実現されれば、中国に対する世界の評価、見方も変わり尊敬される偉大な国家になるだろう。中国はロシアの轍を決して踏んではいけない。政治的な話合いによる決着がつかなければ、軍事力による安易な決着への道はどうしても避けなければならない。中国は世界第二位の経済大国としての模範を示し世界で起きている紛争国に影響力を発揮し世界平和に貢献してもらいたい。

 

はじめての俳句3

日日草、ベコニア、ペチニアです

今月は八月、九月に作句しました六句を投稿します。

八月

松茸や/値段お手ごろ/何処の国

スーパーに買い物に八月頃行きますと、野菜売り場には松茸が見られます。値段を見ると手ごろで年金生活の我が家でも買えるかなと思い、香りをかいでみると無臭で輸入品と表示され、詳しく見ると中国産と書かれており購入をあきらめました。この時の出来事を詠んだものです。

 

大衆魚/今高級魚/秋刀魚かな

今年も秋刀魚が水揚げされセリに掛けられご祝儀相場とは言え10kg10万円の驚くべき値段が付きました。過っては一尾100円位で脂がよくのった秋刀魚は本当に美味しかったものです。現在の秋刀魚は脂ののりも悪く、小ぶりになった秋刀魚を嘆いて詠んだものです。

 

立秋の/時改める/温暖化

今年は九月になっても猛暑日が続いており、立秋は現在の暦で八月八日です。この日からは暦の上では秋になり残暑になります。今年の夏は特に暑く秋の気配など全く見られずこの猛暑の原因が地球の温暖化ではないかと危惧する心境を詠んだものです。

 

九月

月明かり/満天の美を/凝視する

我が家のベランダから天空を眺めた時の光景を詠んだものです。

 

彼岸花/一斉に咲き/父母偲ぶ

彼岸花は開花日が全国的ほぼ同じ日だそうです。お彼岸の中日(秋分の日)になると先祖の墓参りのニュースが流れると彼岸花も写し出されます。彼岸花を見ると亡くなった父母の事を思い出しその時の気持ちを詠んだものです。

 

柿食えば/少年時代/よみがえる

私の生まれ育った実家には多くの種類の果物の木が植えられていました。その中で柿の木は甘柿が三本、渋柿が一本植えられており、私の子供の頃はまだ世の中が貧しく現在のようにおやつは豊富でなく、秋になると学校から帰ってくるとすぐ柿の木に登り柿をもぎ取り食べていました。今柿を食べると子供の頃の事が鮮明によみがえってきます。その時の事を詠んだものです。

 

俳句教室に通いだして半年になります。作句する事が想像以上に難しい事を今実感しています。俳句の偉い先生から見れば私の俳句などは5・7・5の17文字の中に季語を入れただけの句でガラクタ俳句に分類されるでしょう。これは私自身の文学的素養の低さ、語彙力の不足、俳句センスのなさに起因しています。俳句はじめて半年一朝一夕努力せず上手くなろうなんていうのは虫が良すぎると思います。少しでも良い俳句ができるよう切磋琢磨していこうと思っています。

 

危うい中国経済

地植えのコリウスとベコニア

最近の中国情勢は日本だけでなく世界の国々が複雑になってくる中国との付き合い方に苦慮している。そのような中国とどのように向き合えばよいのか考察してみたい。

中国経済は過ってのような勢いはなく、経済成長率の低下、若年労働者の失業率の上昇など経済環境は非常に悪化している。不動産不況は特に深刻で日本の30年前の不動産バブルに酷似している。中国政府は国内経済不振の目を逸らす為に、福島の原子力発電所からでる処理水の海洋投棄に難癖を付け日本からの海産物の輸入を全面的に禁止する政策をとってきました。中国の海産物の日本からの輸入量は全輸入量の5%位ですので禁輸になっても中国には大きな影響はありません。日本をパッシングすることで、中国国民の経済的な不満を抑えることに重きを置いているように思われます。中国政府は自国で不都合な事案が発生すると、政治的圧力を掛けて解決しようとする姿勢は今も変わりません。このような中国政府の強権的、覇権的な政治スタンスに日本政府はどう対抗すればよいのでしょうか。それはまず日中間の貿易を見直し、経済面での中国依存度を引き下げる事です。中国経済に頼らずとも、日本経済は発展、成長する経済シナリオを官民上げて取り組むべきです。中国経済依存度の高い安易な経済政策は見直し中国経済抜きでも十分にやって行ける事を示す必要があります。今回の処理水の問題でも、中国は日本経済に依存していないから、日本に対して言いたいことを自由に発言しています。現在中国との貿易額は輸出、輸入共に20%を占めています。これが日本の立場を弱くし、日本は逆に中国に言いたい事が言えない理由になっています。日本が中国経済頼みの経済になっているからです。このことを打開するには外需(特に中国)に頼らない、内需拡大親日国との貿易量の拡大による経済の底上げで1990年から30年以上経済成長が止まったままの日本経済を甦らす事です。これが実現すれば財政上の諸問題も一気に解決し、希望に満ちあふれた明るい日本の未来が見えてきます。これは中国は勿論、友好国の米国も含め一国の経済に頼る危うい政策は取るべきでなく、内需拡大による循環型経済に移行すべきで、平行して親日国家に対する貿易の拡大政策も進め

経済成長を軌道にのせる事が出来れば、中国に抜かれたGDP2位の座を奪回する事も不可能ではない。消費→投資→所得向上の循環型経済の継続が出来れば、冒頭に書きました、中国経済は日本の30年前の不動産バブル崩壊の状態に酷似していますので、日本はGDPで中国に追いつき、追い抜きGDP世界2位の座を奪回する事も夢物語ではないと思います。

はじめての俳句 2

日日草の寄せ植え

今月は6月、7月に作句した6句を投稿します。

6月度

突然の/澤瀉散るに/涙する

歌舞伎の澤瀉屋(おもだかや)家族心中事件の一報には大変驚きました。あのような方法しか解決の選択肢が無かったのかと思うと残念でなりません。亡くなられたご両親の年齢が私達夫婦と全く同じで、屋号の澤瀉屋の澤は私の苗字と同じです。この句は亡くなられた元歌舞伎俳優夫婦に哀悼の意を表す為に詠んだものです。

 

腹巻を/始め幾年/病しらず

腹巻は寝冷え防止に使う物で夏の季語になっています。私はこの腹巻を40年以上使い続けています。それ以来風邪、インフルエンザ、頭痛、腹痛などの体調不良になった事がありません。現役時代体調不良が原因で仕事を一度も休んだ事が無く、私はあまり自慢出来る事が無いのですが、このことは内心ちょっぴり自慢出来るのではないかと思っています。これは間違いなく腹巻の効用の賜物と確信しています。

 

華麗なる/愛の遍歴/谷崎忌

俳句には季語が必要ですが(季語を使わない無季の句もあります。)一般的には花鳥風月、植物、動物、食物、など季節感のあるものがよく使われています。これら以外に有名俳人、小説家、詩人、歌人などの命日を季語とする忌日俳句があります。良く使われているのは松尾芭蕉正岡子規夏目漱石森鴎外など人気の高い俳人、小説家が多いようです。今回は谷崎潤一郎の忌日俳句にトライしました。谷崎潤一郎は私が文学に興味と関心をもった最初の小説家です。谷崎潤一郎の生涯に関する資料と、三度目の夫人との間で交わされた書簡集を読んで感じたことを句にしました。ただ谷崎潤一郎の作品を読み切ったものはありません。

 

7月度

日日草/美の競演を/満喫し

日日草は毎日初夏から秋(10月頃)まで咲き続けます。三種類の色の違う寄せ植えを三つ育てています。毎日毎日この三色の日日草が競うように咲いてくれています。この光景を詠んだものです。添付の写真が日日草三種類の寄せ植えの一つです。

喉越しの/冷素麺は/醍醐かな

私は素麺が大好きで夏の間は週に何度も食べています。つゆは一般的なものと、私のこだわりのつゆは、らっきょう酢、だし醤油、みりんを適度に加えたものです。これはさっぱりして酷暑の時に食べる素麺は極上の美味しさです。それで少しオーバーな表現の醍醐を使いました。醍醐は極上の美味というような意味です。

向日葵に/平和を祈る/ウクライナ

ひまわりはウクライナの国花で、ひまわりはソフィア・ローレン主演のイタリア映画でも有名です。美しいひまわり畑のシーンで流れる音楽は映画音楽の最高峰といえます。私も映画音楽のジャンルでは最も好きな一曲です。あの美しいひまわりの国で悲惨な戦争が今も行われており、一日も早く戦争が終息して欲しい気持を句にしたものです。

 

 

 

 

内科医院での出来事

ペチニアレモンエロー

私は大慨の病気には医療機関には行かずセルフメディケーション(自分自身で病気の診断を行い市販薬を使い治療を行う事で、アメリカのように公的健康保険制度のない国では普通に行われています。)を実践しています。ただ何度挑戦しても、自力で治せないのが高血圧症です。その為やむを得ず2ヶ月に一度降圧剤の処方箋を内科医院に出してもらっています。今回は前回に年一度の血液検査を行ってもらったため、血液検査の結果と処方箋を一緒にもらいました。現在出してもらっている降圧剤の特許期間が切れたため、ほぼ一方的にジェネリック医薬品に切り替わる理由を、簡単な説明で薬剤師から告げられました。これは現在の日本の逼迫した医療財政の事を考えるとやむを得ない措置かも知れません。このおかげで薬局の窓口に支払うお金は前回までの半分で済むことになりました。年一回受けている血液検査は検査項目45あり、そのうちで中性脂肪の数値が159(基準値は35~150)で若干高いだけであとは問題なく非常に良い状態と医師からお褒めの言葉を頂きました。

本日のこの内科医院には80歳以上と思われる高齢の患者さんが3人診察に来られていました。1人は私が待合室に入ると既に来院されており、小太りで丸首の半袖の下着にズボンという服装で、お腹が見える状態でベンチシートに座り仮眠されていました。この光景にはちょっと驚きを禁じ得ませんでした。この高齢患者さんは家族に送迎されての来院か、タクシーか自力での来院かは分かりません。その後2人の高齢患者さんも来院され、1人の高齢患者さんは家族に付き添われ、この患者さんはお腹から管が出ており、胃瘻されているようで胃瘻患者特有の痩身が見られます。最後に来院された高齢患者さんは腰が45度に曲がっており、スキーのストックのような杖を両手にもち、杖をつきながら待合室に入ってこられました。この高齢患者さんも家族の送迎か、タクシーか自力で来院されたのか分かりません。なぜこのような高齢患者さんの行動、動作に関心があるのかといえば、私も後数年もすれば3人の高齢患者さんの年齢の域に到達するからです。現在家内との二人暮らしでそれぞれ人の手を借りずに生活できていますが、この生活は永遠に続くことはありません。どちらかに介護が必要な時がいつかは来る、その時は予測できませんがどちらかが元気であれば何とか一時は乗り切る事はできますが、両方が同時に介護が必要な事態になれば途方にくれます。今日内科医院で会った3人の高齢患者さんの内1人は家族の付き添いで来院されていたので、家族と同居されていると推測されます。後2人の高齢患者さんはどうして帰宅されたのか分かりません。2人の院内での歩行状態から判断して長い距離の単独歩行は難しいと思われます。2人の高齢患者さんがどうして帰宅されたのか、家族の迎えがある事を期待しながら内科医院を後にするのでした。