はじめての俳句7

鉢植えの菊ダンテサーモン

今月は江戸時代三大俳人、最後の一人で俳句の中興に功績が大きかったと言われている与謝蕪村について書いてみたいと思います。蕪村は俳句の他、絵画にも優れ重要文化財級の作品を描かれ、それらの多くの作品が美術館に収蔵されています。

絵画では中国の有名な漢詩、十便十宜の十宜の部分に蕪村が挿絵を描いた十便十宜帖、そして蕪村が敬愛する、芭蕉奥の細道全作品を書き写し、そこに十三点の挿絵を蕪村が描いた俳画奥の細道図巻と十便十宜帖は、いずれも国の重要文化財に指定されている素晴らしい作品です。奥の細道図巻は、俳句を芭蕉が作り、絵を蕪村が描くという超豪華な、共同創作による俳画といえるでしょう。

一方蕪村の俳句は写実的、唯美的、絵画的な世界観に特長があります。この点は芭蕉、一茶と大きく違うところではないかと思います。絵画的な世界観を持った三句を紹介したいと思います。

蕪村の句

菜の花や/月は東に/日は西に

この句は蕪村の特徴である絵画的なところがよく出ている句です。一面眼下の菜の花畑に月が東に昇り、太陽は西に沈んでいく、菜の花畑を舞台にした天体ショーを詠んだものです。この場所は蕪村が現在の神戸市灘区の摩耶山を訪れた時に作句されたそうです。江戸時代は照明の明かりには菜種油が使われており、菜種油用の菜の花は、全国的に広く栽培されていたようです。

五月雨(さみだれ)や/大河を前に/家二軒

この句も蕪村の特長である、絵画的、写実的ところがよく出ています。さみだれは梅雨期の長雨のことで、増水した大河の前に二軒の家がひっそりと寄り添って、建っている様子を詠んだものです。降り続く長雨、増水した大河、家二軒は絵になり、現実のありのままの光景を、感情を一切入れず句にしています。

牡丹散って/打重なりぬ/二三片

この句は先の二句と違って唯美的な世界観を表現しています。牡丹の花びらが散って、二、三枚が重なって地上に落ちている、この光景を唯美的な世界観でとらえて詠んだものです。この句にも蕪村の特長である感情、侘び、寂は一切入っておらず、ただ現実のありのままの状態を淡々と句にしています。

 

自作の句

春近し/草木(くさき)の新芽/あちこちに

俳句教室から出された今月の季題は冬の季語で春近しです。春近しは春がすぐ近くまで来ている様子を表しています。自宅の小庭には水仙、つつじの新芽が見られるようになり、その光景を詠んだものです。

碧空(あおぞら)に/ひっそり咲くや/冬桜

いつも利用している図書館のすぐ近くに、小さな公園があり、そこには満開の桜の木があるのですが、誰も気がつかず素通りされています。春桜に比べ冬桜は地味で、華やかさに欠け、空の美しさに圧倒され目立たず、ひっそり咲いている冬桜の様子を詠んだものです。

焼芋は/畑(はた)のスイーツ/甘(うま)しかな

焼芋の美味しい季節です。私も焼芋が大好きでよく買って食べています。最近は芋の品種改良が進み、甘くて、美味しい焼芋が食べられます。蜜がいっぱいにのった、甘くて、美味しい焼芋を食べた時の、至福の気持ちを詠んだものです。