はじめての俳句6

バーベナの青紫を切り花にしたものです。

今月の有名俳人の句は江戸時代三大俳人の一人、小林一茶の句三句を紹介します。一茶は三歳の時に実母を亡くし、その後父は再婚し、義母は子供に恵まれ腹違いの弟が出来、義母との確執もあり、一茶十五歳の時に父親から江戸に遊学するように勧められ実家を出ます。

江戸で俳句の宗匠に弟子入りし、苦学しながら二十七歳で俳諧師になります。五十歳の時に、それまでは全国を俳諧師として回り、俳句の本の出版などを行っていたのですが、故郷の北信濃に戻ります。

一茶は六十五歳で亡くなるまでに、三度結婚し最初の妻には四人の子供に恵まれますが、全員が病気で死亡します。二人目の妻とは離婚、三人目の妻は一茶六十五歳の時に子供が生まれますが、生れる前に一茶本人が亡くなっています。一茶の三度の結婚生活は不幸の連続でした。

 

小林一茶の句

雀の子/そこのけそこのけ/お馬が通る

この句は小学校の国語の教科書にも載っている句で、大変有名な事でも知られています。

 

やせ蛙/負けるな一茶/これにあり

この句は蛙どうしの喧嘩の様子を見て、劣勢になっているやせ蛙に対する応援の俳句ですね、蛙どうし喧嘩する事があるのは不思議です。

 

大根引き/大根で道を/教えけり

この句は大変ユーモラスな句ですね。道を教えるのは指を指して教えるのが一般的です。これは指の代りに大根を指して教えています。いかにも一茶らしい句だと思います。

以上一茶の句三句は共に自然を大切に思いながら、かつ弱者に対する応援歌のような俳句です。小林一茶の心優しい一面がよく出ていると思います。

 

 

自作の句

裸木が/景色を変える/小庭かな

我が家には小さな庭があり、桜に似た海棠という名前の花木があります。この海棠は四月初旬に満開の花を咲かせ、その後は若葉、青葉、紅葉、落葉と季節と共に彩は変わり、現在は枝だけの裸木になった海棠を見て詠んだ句です。

 

震災に/耐えし拙宅/隙間風

築五十年近くになります我が家ですが、阪神大震災による全壊は免れましたが、家のあちらこちらに震災による傷跡が見られます。二階の洋間の床にゴルフボールを置けば転がり、少し傾いている可能性があります。現在の老朽化した我が家の状態を詠んだものです。

 

半世紀/病魔に悩む/漱石忌

夏目漱石は四十九歳で胃潰瘍で亡くなられました。現在の医学でしたら百パーセント完治出来るのですが、明治、大正時代の医学では完治は難しかったようです。漱石は判明しているだけでも大量吐血に伴う胃潰瘍で、六回入院され六回目の入院された病院で亡くなられました。四十四歳の時、講演の為来阪された時にも大量吐血で緊急入院され、その病院が現在も天王寺にある湯川胃腸病院で、夏目漱石が入院したことでも、よく知られています。夏目漱石は四十代は胃潰瘍で苦しめられ、その胃潰瘍の原因になったと思われるのが、二十代後半に発病した神経衰弱です。日本人初の国費留学生として英国のロンドン大学に二年間の留学予定が、神経衰弱の為予定より早く帰国されています。大病と戦いながらあれだけ多くの名作を発表された、夏目漱石の精神力の強さは筆舌に尽くし難いです。上記の句は夏目漱石が病気に苦しめられながら、作家活動を続けられた人生を詠んだ句です。

 

 

これで今年の記事の投稿は今日で終わりです。拙い文章の記事ですがお読み頂きありがとうございました。今回は上手に書こうと思って再開しましたブログですが、なかなか思うように書けませんでした。改めて文章を書く難しさを実感しました。

 

来年も俳句と、社会一般の記事を今年よりは少しでも良くなるような内容に出来ればと思っております。来年もお読み頂ければ嬉しいです。